一番嫌な思い出。

 僕がこのブログで言いたいのは、「韓国の人たちはそれほど日本を嫌っていないし、悪い人たちじゃないよ」ということだ。それは10年以上韓国で暮らした経験から感じたことであり、もちろんそうでない人もいると思う。本当に日本を憎んでいるやつもいるだろう。だけど少なくとも僕はそういう人にほとんど会わなかった。

 

 反日教育や歴史問題、最近では盗難された仏像の返還拒否など問題は多く、僕も腹が立つことはある。だけどオンライン上の韓国に対するひどいコメントは目にあまるし、韓国で長く暮らし多くの韓国人と接してきた者として、悲しい気持ちになる。

 

 そこで僕が韓国で経験した経験の中からよいエピソードを書こうと思ったのだが、逆の発想で、最悪の経験について書いてみたい。韓国で嫌な思いをしたことがあるかと問われて、ほとんど唯一思い出す出来事だ。

 

 

 その日は日本人講師4,5人とアメリカ人講師数人と一緒に韓国の日本風居酒屋に行って酒を飲んでいた。ソウルではなく、地方都市での出来事だと言っておく必要もあるだろう。アメリカ人講師はほとんど韓国語が話せないから、英語が得意な日本人は英語で話し、英語が苦手な人は日本人同士で日本語で話をしていた。全部で7,8人はいたから、あちこちでそれぞれが勝手に話をしている状態だった。ときおり韓国語が混じったが、基本的には日本語と英語だけが使われた。

 

 すると近くの席で飲んでいた韓国人の男3人のグループのひとりが、「あんたらは日本人なのか」と韓国語で声をかけてきた。すると同僚の日本人は「いいえ、アメリカ人と韓国人です」と流暢な韓国語で返事をした。この人は本当に韓国語の発音が綺麗で正確だから、聞いた人は信じてしまったと思う。

 

 僕は「日本人だと正直に言えばいいのに」と思った。だけど、日本人だと知って絡んでくる人がいるのは確かなので(いい意味でも、悪い意味でも)、まあ嘘をついてやり過ごすのもひとつの方法なのかなと流してしまった。実際その後、その3人組は何で日本語で話しているんだとかなんとか何度か声をかけてきた。

 

 最初に応対した日本人が「日本語の勉強をしているんです」とまた嘘をつき、再びやり過ごしたのだが、しばらくたってから頭上から何か液体が降ってきた。なんだろうと不思議に思う間もなく、3人組のひとりが、

ウリナラではウリナラの言葉を使え!」

 と怒鳴った。男は手に空っぽの湯のみを持っていた。どうやら冷やしたお茶をぶっかけられたらしい。

 

 すると僕らの周りのテーブルの韓国人の客がパチパチと拍手をした。中央の大きいテーブルで西洋人を交え、韓国語以外の言葉でしゃべっていたせいか、かなり注目を集めていたようだ。

 

 僕はお茶をぶっかけた韓国人を殴ってもいい場面だと思ったけど、店の中ということもあり、また韓国では喧嘩で手を出すと訴えられるケースがよくあるので、怒りをどこに向ければいいのかわからないまま立ち尽くしていた。すると嘘をついた同僚が、「とりあえず店を出ましょう」と提案した。顔見知りの店の店主がやってきて「すみません」と謝るので、お茶をかけた奴らを追い出すのかと思ったが、そんなことはなく、「お代は結構ですから」という言葉もなければ、「これクリーニング代です」という言葉もなかった。僕らはお茶をぶっかけられて、そのままスゴスゴと店を出ただけだった。

 

 韓国の田舎の酒場で外国語で大声で話してはしゃいでいた時に起こったことなら、自業自得のひとことで済んでしまうかもしれないし、あるいは「どこにも変な奴はいるから」と運が悪かったことにしてしまうこともできただろう。

 

 だけどこれは、「行きつけの日本風居酒屋」で起こったことだ。そしてお茶をまいた男の行為は他の客から咎められることなく、拍手によって讃えられたという点が僕らにショックを与えた。

 

 逆の立場で考えてみる。大久保あたりの韓国風居酒屋で韓国人の団体が韓国語で話して大騒ぎしながら酒を飲んでいた。すると日本人の客が日本では日本語で話せと怒鳴って水をぶっかける。そして周りの他の客が拍手をする。……そんなことありえるだろうか。

 

 そしてこういう話を後で韓国の人にすると、1)それは韓国人として申し訳ない、恥ずかしい、代わりに謝罪したい、2)本当にそんなことがあるとは信じられない、その客がおかしかったのだ、3)それが戦争加害者と被害者の違いだ、という反応が返ってきた。

 

 1)と2)はわかるけど、3)については、僕らは戦争の加害国の国民だけど、当事者ではないし、相手だって直接被害にあったわけではない。でも、一部の韓国人が日本人に対して良からぬことをしても、「それは被害を受けた国民のすることだから」と納得してしまう人が一定数いることも事実だ。

 

 そして水をぶっかける人や、それを肯定してしまう人に会うと、その思考が理解できず、「相容れない考え方だ」と思ってしまう。実際に、この時の事件がきっかけで韓国生活を終えて日本に帰国した同僚もいたし、僕自身もこの時の出来事はずっと忘れられずにいる。

 

 でも逆に言えば、10年以上暮らして、最も嫌な思い出はこの程度の出来事であり、ほとんどの韓国人はこのエピソードを聞いて同情してくれるのだ。だからどうしたと言われても困るけど……。オンライン上の過激なニュースを見て腹がたっても「ニュースにならない普通の人たちもいるんだ」ということを少しだけ思い出してほしいと思うわけです。難しいだろうけど。